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人生の折り返し地点に立って想う

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人生100年といわれる時代、私は人生の折り返し地点に立っている

家族や仕事についてじっくり考えてみたり、生き方そのものに悩んだり、さまざまな経験をそれなりに乗り越えて余裕が出てくる年齢だからこその悩みかもしれない

けれど

「このままでいいのだろうか」
「これからをどう生きるべきなのだろうか」

と自問自答しても、何をすればいいの見えてこない

これが正直な気持ち

これからの人生をより豊かに過ごすために、まずは何から始めればいいのかを考えてみることにした

目次

人生の着地点を見つける

私の人生の着地点とは、最後の最後はどのような状態でありたいかということ

人生の着地点とは「ここまで来れば、自分の使命を果たした」と思えるような終着点のことかもしれない

その終着点は、必ずしも明確である必要はなく、ぼんやりしていてもいいし毎日変わってもいい

そして、いくつあってもいいらしい

ただし、それは自分の本音でなければならない

もう1つ加えると、それが他者への貢献につながるかどうかということ

なぜなら、人間は「コミュニティ」の中で生きているから

つまり、この惑星に生きている以上、自分ひとりだけでは幸せになれないと私は解釈している

自分自身を受け入れ、他者を受け入れ、そして人々に貢献する

そんな世界に身を置きたい

では、私の人生の着地点とは?

自分の人生について、20代後半で深く悩んだ時期があったけれど、答えは見つからなかった

風通しの悪い空間から抜け出せずにいたあのころ、息苦しくて死にそうだった

きれいな空気を吸いたい一心で「目標」を設定した私は、それなりに必死になって、そこにたどりついた

達成感に浸り、自由を満喫していた日々も、今振り返ってみればひとつの通過点だったのだ

そもそも「目標」は、今の自分の延長線上にあるもので、現在地を基準に設定した単なる通過点に過ぎない

これは、「着地点」とは根本的に異なるもの

人生の着地点は、今の自分のままでは到達できないもので、現状の外に出なければたどりつけないゴールなのである

同じ列車に乗り続けていると、季節は変われど見慣れた景色しか目に入らない

違う列車に乗り換えなければ景色は変わらないのだ

特急列車じゃなくていい、途中駅の停車時間が長くても構わない

「ここまで来れば、自分の使命を果たした」と思える終着点までの道のりを、移りゆく景色を楽しみながら存分に味わうことにしよう

必要のない価値観を手放す

列車を乗り換えて「今までと違う景色を見に行こう!」そう決心も、なかなか行動に移せない

私は行動を起こすまでにものすごく時間がかかるタイプの人間なのだ

小さなことはささっとできるけれど、対象が大きくなればなるほど身動きがとれなくなる

「違う景色見たいんだよね?」と背中を押す自分と、「今のままで何が不満なの?」と強く現状に留まらせようとする自分がいる

強力な現状維持システムを解除するにはどうしたらいいのだろう?
何が私を思いとどまらせているのだろう?

その正体を見極めるため、形のないものを言語化する作業にとっぷり浸かってみた

言語化した文字から見えてきたこと、それは……

私という人間は、呆れるくらい心配性で完璧主義者で、どうでもいい価値観を抱え込んでいるということだった

・失敗は許されない
・そのための準備を怠ってはいけない
・人に頼るべきではない
・自分でできることは自分でする
・迷惑をかけてはいけない

そして、これらをきちんと遂行できない自分には価値がない

本当にそうなの?

どうでもいい価値観を、大切なものだと深く思い込んでいるだけに過ぎないのではないだろうか…

子どものころ、ピアノの発表会で失敗しないために必死で練習していた記憶が蘇ってくる

先生を落胆させないために、間違えたときの母親の悲しそうな顔を見ないために、準備を怠ることはなかった

社会人になってからは、周りに迷惑をかけるのがどれほどダメかを徹底的に叩き込まれてきた

任された仕事は見落としがないように何度も確認し、上司に書類を渡したあとはお叱りを受けないかとドキドキしながら、次のやるべき仕事に取りかかる日々だった

多かれ少なかれ、誰もが似たような経験をしてきただろう

でも、今はもうピアノの発表会もなければ、上司だっていない

50代になっても、持ち続けるべき価値観なのだろうか?

きっともう、手放してもいいはず

自分の体にべったりと貼り付いた価値観は、私にとってはものすごく重い鉛のような存在

これが現状維持システムの正体

これを解除すれば、私の体はふわりと軽くなって浮かび上がることができるだろう

私の人生は私が決める

人生100年時代、折り返し地点に私はいる

まだまだたっぷり時間はあるとはいえ、迷ってばかりもいられない

大きく道を踏み外れたことがなく、与えられた枠組みの中にきちんと収まり、いわゆる「普通」の人生を歩んできた私

親の言う通りにしていれば、お利口さんに振る舞っていれば、自分の居場所はある

そんなふうに思っていた

大嫌いだったピアノのレッスン、やらされてた感たっぷりの受験勉強、反発すれば母からどんな言葉が返ってくるか想像がついた

反発心が湧いてきたら「言っても無駄だよ」と自分に言い聞かせておしまいにする

大人になってから家を出て、少しずつ少しずつ育った環境から離れ自由を満喫して来たけれど、だからってスッキリしたわけではない

それが今、どういうことなのか見えてきた

子どもが不登校になって、「私自身の問題」が浮き彫りになってきた

いろんなことをこじらせて、遠回りして、立ち止まって、後退して、やたらと時間はかかったけれど、現状から出たいと心から思う

逃げるのではなく、拒否するのではなく、なかったことにするのでもなく、自分が創り出したすべての過去を財産にして

「私の人生は私のもの」

教えてくれた子どもたち、ありがとう

本当に、ありがとう

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