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不登校の親、疲れたって話よ

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不登校の親って、疲れるのよ。ほんとに。

娘が小3の終わりから不登校になって、かれこれ5年目。長い。もう娘は大丈夫だと思ってる。元気だし、好きなことやって、それなりに楽しそうに過ごしてる。将来のことだって、自分なりに考えてる様子もある。だから「心配」というより「あぁ、そういう人生なんだろうな」って受け入れつつある。

でも、やっぱ疲れるのよ。

何に疲れるかっていうと、ときどきやってくる「不登校」という言葉や仕組みに向き合わなきゃいけないこと。

学校へプリントを取りに行くとき。先生の「最近どうですか?」から始まって「進路どうします?」までセットでついてくる。教育相談センターの月イチ面談では「娘さんの様子はいかがですか?」「特に変わりはありません」の定番のやりとり…

毎回毎回「娘は元気です。娘なりにいろいろ考えてます。はい、あたしも大丈夫です」って、まるで決まり文句みたいに言ってる。で、言いながら心の中では「やかましいわ」って思ってたりする。そういう小さな積み重ねに疲れているんだと思う。

こういうの、やーめた!ってしたら楽になるんだろうけど、そうすると「放棄」したみたいになっちゃう。たぶんあたしみたいな不登校の親、いっぱいいるんじゃないかな。

最初は必死で、子どもをなんとか学校に戻そうとする。

で、自分の価値観を見直したりして、「学校に行くことだけが正解じゃない」って、頭ではわかってくる。

親子関係もよくなって、一緒に旅行したりも。

不登校初期のどん底を思い出すと、「あれは何だったんだろう」ってくらい落ち着いてる。

でも――それでもまだ「不登校」。

学校に行けば「解決」って思われる。学校に行かないままだと、いつまでも「不登校」っていう肩書きがついて回る。娘は元気、親子関係も良好。それでも、「不登校」というレッテルだけは外れないっていうね。

娘が元気ならそれでいい、そう思う半面「不登校の親」自分に、ふと疲れを感じる今日このごろ。

それでもね、こうして書いてる今も、娘がケラケラ笑ってる。今日も一緒にご飯食べて、くだらない会話して笑ってる。それが日常。

だから――不登校の親、疲れたけど、まぁ悪くない。そんな話よ。

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