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やるだけのことは、もうやった

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子どもが不登校になると「見守りましょう」って言うけどさ、それ、どの立場から言ってるの?って思う。

見守りは放置じゃない。そんなの、こっちは百も承知。放っておいたことなんて、一度もない。でも、自分の時間を少しでも持つと、罪悪感が出てくる。「母親なんだから」って言葉が、どこかで頭をかすめる。

結局ね、「見守る」って言葉の正解は、誰も知らない。

近すぎたら息が詰まるし、離れたら「冷たい親」って言われる。どうしろってのよ。不登校の子どもがいる親はみんな真面目なのよ。だから、正解が欲しくてまわりの言葉に左右される。

娘が不登校になって5年。あたし、その間にやれることは全部やってきた。励ましたし、泣いたし、怒鳴ったし、沈黙もした。「環境を変えよう」も「背中を押そう」も、ぜんぶ試した。何度もぶつかって、何度も折れて、何度もやり直した。

そんなトライアンドエラーをくり返して、ようやく自分の意見を言える母親になれた。

それは、娘をいわゆる普通の道に戻そうとするコントロールじゃない。ただ、あたしがどう感じているかを素直に伝えられるようになったってこと。それをどう受け取るかは、娘次第。

なのに、今度は「見守ってるだけじゃダメ」と言われる… あのね、こっちは“だけ”で済ませたことなんてないっちゅーの。

不登校の親は、みんな必死。誰よりも考えて、悩んで、答えのない道を歩いてる。だけど、外から見えるのは何もしていないって表面だけ。だから余計に苦しい。

あたしは娘を信じてる。あの子が自分の足で立てると信じてる。信じることに迷いはないけど、簡単でもない。

信じるって、ただ手を離すことじゃない。逃げずに見て、待って、笑って、自分の人生もちゃんと生きること。
それを“放置”だなんて言われたくない。あの子の呼吸も、目の奥の小さな変化も、あたしはちゃんと見てる。

あたしはあたしの人生を生きる。娘は娘の人生を生きる。それでいい。それが、あたしの「見守り」なんだよ。

今日も、娘はマイペースで生きている。
それでいい。

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